皆が店の再開を望んでいた。
直売所再生への道筋 

岩手県 採れたてランド高田松原
2011年6月に完成した採れたてランド高田松原の仮設店舗

 岩手県陸前高田市竹駒町の仮設店舗で営業する直売所、採れたてランド高田松原。2011年3月の東日本大震災が発生する前までは、海岸沿いに建てられた「道の駅高田松原」に隣接した直売所で営業していた。しかし、地震によって引き起こされた大津波によって、直売所の店舗は流出。

 震災で岩手県内最大の被災地となった陸前高田では、沿岸部は壊滅状態となり、地震と津波による死者、行方不明者は2000人を超えた。また、約7万本と言われ、市の観光名所ともなっていた高田松原もそのほとんどが流されてしまった。

 採れたてランド高田松原でも活動の停止を余儀なくされたが、震災発生から3ヵ月後には仮設店舗を設営し、営業を再開している。

 直売所がオープンしたのは平成7年。今年で開業19年目を迎えた。震災発生時から今に至るまでのお話を、組合長の熊谷恭雄さんと副組合長の熊谷和人さんにうかがった。【産直新聞記者・鹿野なつ樹】

直売所に隣接していた道の駅高田松原の建物は、海岸沿いにそのまま残されていた

直売所に隣接していた道の駅高田松原の建物は、海岸沿いにそのまま残されていた

◆「みんな来たじゃん。やる気あるんじゃん」

 震災発生から2ヵ月後の2011年5月、現在使用している仮設店舗のガレキ撤去に、70名近くの組合員が集まった。当時の組合員が全体で88名だったというから、その大半が集まったことになる。震災からわずか2ヵ月、自身が被災した方や、身内を亡くした方・・・誰もが様々な事情を抱え、身の回りのことで手一杯だった時期である。

 「みんな来たじゃん。やる気あるんじゃん」。予想していたよりもずっと多くの組合員が集まったことに、組合長らは驚きと同時に大きな喜びを感じたという。「ありがたかったですよ。それだけみんな、店の再開を望んでたんだなって感じました」。うれしそうに当時を思い返した。

 東日本大震災が発生するまでは、採れたてランド高田松原の店舗は海岸沿いの、道の駅高田松原に隣接して建てられていた。しかし、あの日起こった大津波によってもとの店舗は流されてしまった。

 さいわい組合員で命を落とした方はいなかったものの、家族を亡くした方や、自宅を流された方、農地や農機具に被害を受けた方は大勢いた。

 そんな中、4月に役員会議を開いて直売所のこれからをどうするか、組合員たちの意向を聞くと、「やるべ」と声が挙がった。もちろん、全員同じ意見だったわけではなく、店舗がなくなってしまったこともあり、「もう解散した方が良いんじゃないか」という声も出た。しかし、当時街の中は壊滅状態。避難所に物資が集まっても、被災していない人は物を手に入れる場所がなく、内陸まで買いに行かないといけない状態だった。また、被災していない組合員は物を作ってもそれを売る場所がない、売れないと生活が成り立たない、という状況の中、営業再開に意欲的な声は多く、店を再開させることが決まった。

 その後、どこに店を再建するか、あちこち歩き回って探したり、人に聞いたりして、模索する毎日だったという。そんな中で、市内の竹駒町の土地を使えそうだという話があり、その場所に仮説店舗を設営することとなった。「来られるようなら来て欲しい」という呼びかけに対し、大勢の組合員たちがガレキ撤去に集まり、震災発生から約3ヵ月後の6月下旬には仮設店舗が完成。2011年6月26日、営業を再開させた。

陸前高田市内。何もない土地がそのまま広がっていた

陸前高田市内。何もない土地がそのまま広がっていた

◆避難所を回って目にした出荷者の姿

 震災が発生してから直売所の営業を再開するまで、何も活動しなかったわけではない。

 震災発生後、規模の大きい避難所には、比較的多くの物資が届けられたが、公民館のような小さな避難所までは物資が行き渡らないことが多くあった。副組合長は、自身が栽培するりんごをトラックに積んでそういった小さな避難所を回った。「それでも、被災者に売るのは気持ち的にはばかられたんで、『だったらけっちらかせ(「ける」は気仙地方の方言で「あげる」の意)』、と思って、配り歩きました」。避難所を回ったのは副組合長だけでなく、多くの組合員が個人個人で避難所へ食べ物を届けて回っていたそうだ。

 その一方で避難所には、被災してそこに身を寄せていた組合員の姿もあった。副組合長の姿を見つけると、「また皆で顔を合わせて、和気あいあい、できたらいいね!」と声をかけてくれた。被災し、避難所生活という苦しい状況の中でそんな前向きな言葉をかけてくれる組合員の姿に、「絶対また店をやらなくちゃ」という気持ちにさせられたという。しかしそれとは反対に、避難していた組合員の中には「俺はもうだめだ。息子が亡くなって跡継ぎはいないし」。そう言って絶望する者もいた。副組合長は苦しそうに当時を振り返る。震災が発生する前には91名いた組合員が、現在では70数名にまで減少している。それでも残った者たちは、採れたてランド高田松原を盛り上げようと、毎日笑顔でお客さんを迎えている。

「ばばば」は陸前高田の方言で驚いた時に使うという

「ばばば」は陸前高田の方言で驚いた時に使うという

◆これが本当の復興だ

 「重機で引っ掻き回すだけではない。これが本当の復興だ」。

 採れたてランド高田松原の組合員の一人、管野さんの言葉に、農業は土と共にあるということを改めて感じさせられる。

 管野さんは、家を津波で流され、畑も海水に浸かり、外に出しておいた農機具は、震災後に盗まれてしまった。それでも「ここに住む気しかしない」。そう言って震災後も陸前高田を離れることはなかったという。

 津波の被害を受け、一度海水に浸ってしまった畑は、塩分がそのまま土に残ってしまい、塩が抜けるまでに相当の時間がかかると言われている。管野さんの畑も、ガレキを撤去した後に全ての土を入れ替えないと再び農業をすることはできないと言われていた。しかし、他にも多くの方々が同じ状況になっていたため、それらの作業の順番が回ってくるのを待っていたのでは、農業を再開するまでに時間がかかり過ぎる。そう思った管野さんは、本当に自分の畑は塩に浸かって野菜ができない土となってしまったのか、自分で調べてみようと行動を起こした。検査機関を見つけてきて、自分の畑の土の検査を行なったのだ。その結果、畑の土に残っていると思われていた塩分は、土質が良かったのだろう、その多くが既に雨等によって流れており、塩分濃度が高いわけではないことが判明した。

 この結果を受けて、管野さんは自分でガレキを撤去して、そこで畑を再開することを決意。少しはボランティアの手も借りながら、地道にガレキの撤去を続け、今では2反部の農地を復活させた。土の中には大きな石や流れてきたゴミなどがごろごろと混じっていて、1日1坪程度しか作業が進まないような日もたびたびあったという。それでも管野さんは自分の畑で再び野菜を作ることをあきらめなかった。何十年も命をつむぎ続けてきた畑の土に、希望を捨てはしなかった。津波被害に負けず、重機を入れないと再建は難しいと誰もが思った畑を自らの手で畑を復活させた管野さんの言葉は、どこまでも力強い。

 そんな管野さんの姿や、彼の畑を「ぜひともみんなに見せたいと思いました」。そう話す副組合長の表情はとても明るかった。

北限のゆずを使って造られたゆず酒

北限のゆずを使って造られたゆず酒

◆北限のゆず

 陸前高田市では、昔から庭木のひとつとしてゆずの木を植える家庭が多くあった。震災が起きる前までは、ゆずは家庭で消費されるだけで、それを地域の特産物とする見方はなかったが、震災後、地域外から多くの人が陸前高田にやってきたことを契機に、地域の特産物としてのゆずに注目が集まりだした。岩手県の中では温暖で日照時間の長い陸前高田市は、ゆずの植生の北限とされている。そこで、「北限のゆず」を陸前高田の特産物、さらには復興の象徴としてブランド化する動きが2013年から始まった。そして、果樹としての価値を再認識されるようになったゆずを使って、リキュールが開発された。作ったのは岩手県二戸市の蔵元株式会社南部美人。この原料となるゆずを、採れたてランド高田松原、川の駅産直横田、陸前高田ふれあい市場の3店の直売所が収穫、出荷しており「糖類無添加・ゆず酒」は各店舗で販売もされている。

 「ゆず園を増やして、地域外からもゆずを採りに来てもらいたい。震災があって、希望の持てる話は少ないから、成功させたいんだ」。そう言って、副組合長は未来への希望を語ってくれた。

「高速道路が開通したからってそれだけで人が来てくれるわけじゃない。どうやったら来てもらえるのか、そのための工夫をしなくちゃ」。力強くそう話す。

組合長の熊谷恭雄さん(左)と副組合長の熊谷和人さん(右)

組合長の熊谷恭雄さん(左)と副組合長の熊谷和人さん(右)

◆高田松原に戻りたい

 現在の最大のテーマは、本店舗を建設すること。直売所のオープン以来、震災発生まで売上げを順調に伸ばしてきたが、現在の店の売上げは、最盛期の半分程度だという。震災後市内の直売所の数は増えたが、人口流出によって消費者は増えるどころか減少しているのが現実だ。「早く店舗を本設したい」と、組合長は力をこめた。

 海沿いに店舗を構えることを嫌だと言うひともいるが、「自宅と違うから、すぐに避難したら大丈夫。道の駅をまた作るなら、もとの位置に戻りたい」。そう切に願う。夏には多くの海水浴客でにぎわい、陸前高田のシンボルでもあった名勝高田松原。組合長らにとっても、長年多くのお客さんを迎えてきたその土地には、特別な思い入れがあるのだろう。

 近い将来、採れたてランド高田松原が海岸沿いに本店舗を建て、多くの観光客や地元のお客さんを迎える姿を見られることを願う。


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